セラピスト紹介

西村 章

【保有資格】

  • 作業療法士(国家資格)
  • 介護支援専門員
  • ファスティングマイスター

【趣味】

レザークラフト、洋裁、家庭菜園、ウクレレ、日曜大工など

【経歴】

1973年生まれ。長崎県諫早市出身。

大学卒業後、金融関係の営業職に就く。

しかし、そこでの仕事は、ストレスや過労が大きい割には、人や社会の役に立っているという実感を持つことができず、仕事や人生に対する疑問を持ったまま退職する。

20代だった私は、「自分が本当は何がしたいのか?」「どうすれば、誰かに喜んでもらえる仕事ができるのか」を考えるようになる。

物づくりが趣味だった私は、医療と作業を組み合わせた【作業療法士】という仕事に出会い、一念発起して学校に入りなおすことを決意する。

卒業後は、脳卒中専門のリハ病院に入職し、身体機能面のリハビリに従事する。

その後は、精神科の作業療法を経て、介護老人保健施設での高齢者のリハビリに携わる。

リハビリの仕事に就いて、約15年。

その中で、様々な人との出会いと別れを経験してきました。

私が関わったことで、身体機能が改善したり、こころが落ち着いたりした方がいる一方で、特に良くも悪くもならなかった方もいれば、どうすることもできかった方も多くいらっしゃいます。

その違いは何なのか? もっといい方法があったのではないか?

技術的なところは、たくさんのセミナーや勉強会などに参加し、しっかりと勉強して、身に付けてきました。(もちろん、まだまだ未熟ですし、これから先の勉強はありますが)

ですが、そのような勉強をしていくうちに、医療保険や介護保険で行うリハビリテーションという枠の中では、できないことが多いというジレンマを抱えるようになりました。

そんな悩みのなか、どうすればいいのかを考えた結果、リハビリの枠を飛び越えるという選択をすることに決めました。

今までに学んできたものを、誰かのために活かしたい!

私が関わることで、その人に心から喜んでもらいたい!

そして、その人の人生そのものが、より良いものになるよう手助けをしたい!

このような想いを妻と共有し、整体院ホーピストを開業するに至りました。

一人でも多くの方の力になれるよう、精一杯、整体の仕事にあたらせて頂きます。

どうぞよろしくお願いいたします!

西村 有希子

【保有資格】

  • 柔道整復師
  • 准看護師
  • 介護支援専門員
  • ファスティングマイスター

【医療現場での経歴】

看護助手2年

准看護師8年

柔道整復師11年目

【趣味】

絵画、ダンス(ジャズ、ヒップホップ)、空手

はじめまして。
整体院ホーピストの副院長 西村 有希子と申します。

ここでは、これまでの私の経験と、医療の道を志した経緯、そして、整体にかける想いをお話させて頂きたいと思います。

1998年、母がクモ膜下出血で他界しました。享年49でした。

当時、20代の私は、病院の看護助手として働き始めたばかりでした。脳死状態になった母に対して、医療の知識がなく、何もしてあげられませんでした。

そのとき私は、「生きるとはなんだろう・・・、目の前に母の肉体があるのに、生きているのか?死んでいるのか?」と考えるばかりで、ただただ、母の心臓が止まるのを見ているだけの存在でした。
私は悔やみました。

このことをきっかけに、医療の道で生きていきたい。そして、少しでも誰かの役に立ちたい。社会貢献ができるようになりたいと考え、翌年、看護学校に入学しました。しかし、学校に通う生活は身体的、精神的、金銭的にも非常に苦しいものでした。金銭面での親の援助は期待できなかったため、奨学金を受けて授業料を払い、生活費は自分で稼がなければなりませんでした。

看護助手としての仕事は、入院患者様のオムツ交換、入浴や食事介助など身の回りのお世話を行い、滅菌業務なども行っていました。今でも思い出しますが、当時はかなりのハードスケジュールでした。看護学校の授業の後、そのまま夜勤に入ることも多く、過労とストレスから嘔吐してしまい、勤務中に点滴をしながら夜勤業務にあたったこともありました。

学校と仕事の両日休みの日が、月に一度でもほしいと看護師長に懇願して、「甘えるな!」と怒鳴られたこともありました。学びも多い反面、とにかく大変な2年間でした。

そして、2001年4月、晴れて准看護師の資格を取得することができました。

しかし、看護の仕事としてオムツ交換や移乗介助、入浴介助などを行うなかで、腰椎椎間板ヘルニアになり、日常生活もままならない状態になってしまいました。
そのため、いくつかの整形外科や接骨院に通い、治療を受けながらも何とか仕事をこなしていきました。

腰痛が治まってきた頃、セラピストの姿を見ながら、自分で自分を治せるようになりたい。そして、私もいつか独立して辛い思いをしている人の力になりたいと考えるようになりました。
柔道整復師である国家資格の専門学校に通う決心をしました。都内の学校だったため、奨学金は受けれませんでした。そのため、学費、生活費と自身で稼ぎ節約しながら生活をしていました。

重大な責任を伴う看護師の仕事は、少しのミスも許されるものではありません。しかも、試験前でも簡単に休みが取れる職場環境ではありませんでした。
自分で選んだ道とは言え、やはり看護師としての業務を行いながら、柔道整復師の学校に通うことは容易ではありませんでした。しかしながら、学校の先生や同級生など、同じ想いを共有した仲間たちのサポートもあり、2009年、無事に柔道整復師の国家資格に合格することができました。

そして、その年、柔道整復師として同法人内の整形外科に移り、リハビリ業務に就くことができました。そこでは、整形外科の医師や理学療法士、作業療法士などに教わりながら、リハビリ業務にあたってきました。

しかし、患者様の身体を徒手的に治療したり、リハビリを行うということは、非常に奥が深く、勉強に終わりがないことがよくわかりました。
そのため、仕事が休みの日は、あちこちの治療のセミナーに通ったり、勉強会に参加してきました。

そんななか2010年、父が肺癌を患いました。
やがて癌は脳に転移し、そこから癌性髄膜炎になってしまいました。

父と私の闘病生活が始まりました。母が亡くなったとき、私は母に対して何もしてあげられなかったという思いがあったため、父に対しては出来ることは全部してあげようと思い、必死で看病しました。
癌が進行し、体中が怠いという父のために仕事が終わってから、毎日のように実家まで車を飛ばし(夜中の2時のときもありました。)、何時間もマッサージを続け、自身の腕や背中が筋肉痛になるくらいでした。

マッサージを受けているとき、父が「このときだけが生きている心地がする」と言ってくれたのが、今でも心に強く残っています。

癌の発症から2年で父は亡くなりましたが、母のときのような後悔の念はありませんでした。全力で看病することができたからかもしれません。

しかし、父は昔から健康的で、運動を欠かすこともなく、健康的な食事を取り、サプリメントにもこだわっていました。お酒、タバコは一切やりませんでした。

そんな父がなぜ癌に・・・。

父と母を通して、命とは何かを深く考えさせられました。健康に生きることの大切さと、それと同時に私が今ここにいることの感謝も湧き出してくるようになりました。

父と母がいたからこそ、私はこの世に誕生することができ、そして、これまで生きてくることができたという深い感謝を持つことができるようになりました。

現在の日本では、不妊に悩む方が多く、不妊治療を受けている方も沢山いらっしゃいます。しかし、日本での体外受精での成功率は世界で最下位だそうです。私の周りにも病気を持っている子供が多くいたり、アトピーやアレルギーに悩む子供も数多くいます。

日本は危機に瀕しています。

日本人の健康を取り戻すため、微力ながらお役に立ちたい。
母体に働きかけることで、子供たちに健康な未来を残していきたい。

そんな想いから、体質改善と妊活サポートを専門にした整体院を開きたいと考えるようになりました。

20年間の医療経験を活かし、不妊や体調不良などに悩むあなたのサポートに当たらせて頂きたいと思います。

どうぞ、よろしくお願い致します。